最高な社会人フットサル。
昨日は社会人フットサルに参加できるのが、最後の日だった。
思えば、自分は学部2年生のころから社会人フットサルに参加して、たまに大会にも誘ってもらったりもした。
学生だから、子供に見えるせいかわからないけれど、よく「たけぼう!」といわれてきた。おそらくたけしの坊やを略した形だと思う。
この社会人フットサルに参加したきっかけは、「社会人フットサルしないか?」とまだそのときは、ただ知っているだけの関係だった先輩から誘われて入った。
それから4年の時が経った。
おかげでたくさんの社会人のみなさんと関わることができて、本当に人の縁というか、人と関わることの面白さや、社会人と学生の違いなど知ることができたし、毎回刺激になったフットサルだった。
それに長く続けてきたおかげもあって、自分で言うのもなんだが、いじられまくりながらのフットサル。それもそれも思い出。
最後の日になると、いままでのフットサルの出来事がこうして鮮明に思い出される。
確実に自分の大学の思いでの一つとなった。
ああ、こうして卒業へと向かっていくのだなあ。。。
ほんとうに社会人フットサルのみなさんお世話になりました。
ありがとうございました。
寒かった。しかし、一歩ずつ進んでいく温かな感覚。
今日は寒かった。昨日より風はないものの、肌にちくちくとするような寒さ。
三連休はめちゃくちゃ寒くなるらしい。最低気温-12℃までいくみたい。ほえ。
今日も今日とて修論。
修論は自分は英語で書かなければならないが、今まで読んできたたくさんの英語論文があるおかげで、そこから引用する形で書いている。必殺技だ。いんちきではない。
今日は地質概説を書き終えた。H先輩より詳しく書いたつもりだけどどうだろうか。H先輩が使用している図も使っているけれど、新たに用いた図もある。
英語で書くのはそんなに難しくない、しかし取り掛かる腰が重すぎるのだ。
明日は日雇いなのでできない。明後日には研究手法を書いて、ゼミ用のパワポを作るとしよう。
今日の嬉しかったこと
・修論の地質概説を書き終えたこと。
・チャーハンがうまく作れた。
明日やること
・日雇い
・夜は彩鳥で飲み。
爆弾低気圧到来。
今日朝起きてやけに風の音がするなあと思ったら、どうやら秋田沖に爆弾低気圧がきているみたい。
今年の冬は一気にドカッとくるねえ。例年より雪害が多くなるかもなあ。
これから三日間の天気も怖いけど、どうにも止まらないコロナ感染。本日付で一都三県に緊急事態宣言がだされたけれど、これから減少していくのだろうか。
前回の緊急事態宣言よりももっとつよい対策を講じていかないと止まらないんじゃない?
それに伴った飲食店における夜八時以降のお酒類の提供禁止。これ以上飲食店経営の体力は残っていない。給付金もセットだが、毎日6万円。足りるのだろうか。
かといって、自分が何かやってみろよといわれてみても何も助けることはできない。できることは、山形県内でじっとしていることだけ。
とにかく旅行したいとかの欲をぐっとこらえるしかない。
今年は耐えから始まっている。
いつかぱっと遊べる日が来ると信じて。
今日の嬉しかったこと。
・修論のprevious study,aims の部分を書くことができた。
・久しぶりにジムに後輩と行けた。
・ジムでベンチプレス35キログラム上げることができた。
・駐車場の雪かきができて、すっきりした。
・「人は話し方が9割」を読破できた。
明日やること
〇修論のGeological setting ,Methodを書く
〇ゼミの日程を決める
今日はお日様が元気だった。
今日朝起きてみると、雲一つのない快晴。清々しい朝を迎えた。
午前中はまたみずほ銀行に行き、積み立てnisa口座の開設をした。懇意にしてもらっている行員の人と雑談しながら、約一時間ほど手続き。本を忘れてきたので、待ち時間がとても退屈だった。
ともあれ、積み立てnisa口座を開設できたので、早いうちから積み立てよう。
そのあとは八文字屋で筋トレと小説をぱっと見して帰宅。
午後は修論のイントロ部分を書いた。
珪藻についてと珪藻のエコロジーを基にした堆積環境区分について書いた。
夜風呂上りにフェイスパックをしてみた。とても楽で、肌が喜んでいる感じがした。
明日は、
天気が大荒れになる予報なので、ジムには行けないかもしれないなあ。
大学で落ち着いて、修論の研究目的と地質概要の部分を書いていくか。
今日あった嬉しいこと。
にらたまをうまく作れた。
人生初のフェイスパックが思ったよりも気持ちよかった。
積み立てnisaの口座を開設できた。
方向性がきまる一日。
今日は午前中にみずほ銀行山形支店へ。
来年四月からの会社の給与受け取りは、みずほ銀行神田支店にしたたため、山形支店の方は使わないので解約の手続きをとった。
解約の手続きはおもったより時間がかかったし、積み立てnisa口座の話とかみずほダイレクトの話を前に担当だった人と長く話してしまった。ちょっと疲れた。
それが終わった後、八文字やでnisaについて網羅的に説明しているムックを買った。夕方ざっと読んでみたけれど、今までの読んできたやつの復習みたいなものだった。だんだんとnisaの知識が定着しているという表れか?いい発見だ。
それから午後2時過ぎには、研究室ミーティング。
今のM2が卒業するタイミングで行動を起こすとのこと。ニュースになるかもしれないなあ。
あとは、各自修論は早めに進めておくようにとのこと。発表練習も3回以上しようという話になった。
最後に、残り三か月だから、みんなでパーティーを毎月しようとH先輩が提案。前回のクリスマスパーティが面白かったので(僕がアルコールブラックアウトした)、ぜひやりましょうと賛同した。
濃い学生だけの研究室ミーティングだった。これも体力というかちょっと精神を消耗。
その後、皮膚科へGO。右足の水虫の薬と背中の肌荒れの薬をもらいにいった。
あああ、濃い一日。
明日はnisa口座の開設で又みずほ銀行へ。それから修論のイントロ部分とバックグラウンドを書く予定。
明日もがんばろう。
今日あったいいこと。
夜ごはんに作った麻婆豆腐がうまかった。しょうがとにんにくがいい味きめた。
世界は不思議なことで満ち満ちている。
今までたった24年の人生だが、しっかりその人生を見つめてみると不思議なことで満ち満ちていた。
言葉では説明のつかない事ばかりで、それは構成されている。
よく考えてみれば当たり前のことだ。
この世界に自分という人間に生まれついたという、そのこと自体がまったくもって説明不可能であるからだ。
今の自分に落ち着いているのは、今までに経験した事柄、例えば人との出会いや別れなどの、出会うべくして出会い、別れるべくして別れたというその結果なのか。
これまでの出来事をすべて偶然の産物だという風に結論付けてしまえば、これ以上小難しいことを考えずに済むし楽だろう。
しかし、今の自分が今の自分になっていることの発端が仮に過去のある出来事であると仮定するならば、スイッチが押されたと仮定するならば?
これまでに経験した様々な出来事がまったく異なった顔を見せ始めてくるのは
きのせいだろうか。
2021年到来と今年の目標、やりたいこと。
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。引き続きこのブログを見てくださる方、今までと変わらないご愛好をよろしくお願いいたします。
さっそく今年のブログ一投稿目。
まずは2021年到来について。
去年の大みそかには来年にはならないと思っていたけれど、とうとう2021年がきてしまった。別に2021年が来ることはいやじゃなかったけど、きてしまったかという感じ。
これから時がめまぐるしく進んでいく。修論原稿作成、修論発表、引っ越し二軒(実家と自分の東京の家)、各種契約の解除、ahamoの契約、、、やるべきことがたくさん待ち構えている。
それらをポケモンのゲームのように、自ら敵に遭遇するみたいに先をみこして優先順位をつけて、こなしていきたいと思う。
2021年到来に関してはこんな感じにして。
つぎに今年の目標、やりたいことについて話していきたい。
アカデミックの場にいられるのもあと3か月。4月からは晴れて高〇〇学〇業の新入社員となり、新たなライフスタートを切ることになる。
そこで、今年の目標としては新社会人になってからを想定して、仕事面・対人関係・生活・やりたいことの4つのテーマで考えた。
まずは仕事面。
今年は入社してから約6か月の集合研修@東京、そして10月から現場研修というスケジュール。このとうり入社一年は研修ということになる。
新社会人で気を高く持つのはとてもいいと思うし、自分もそうなっていたい。ただ、頑張りすぎて燃え尽き症候群になってしまったら、もともこもない。
だから、無理せず、頑張りすぎず。
新しいことことを日々覚えつつ、3.5.10年後どんな自分になっていたいかを明確にし、仕事をしていきたい。
対人関係
沢山いろんなところで新しい人に会うので、ひとつひとつの出会いと仲間を大切に。同期とか。
生活
・貯金毎月最低5万。
・株の勉強(本3冊をよむ、1株の全体像が分かる本2海外と日本の株について説明している本3NISAに関する本)と心理学(社会・発達・認知についての本)の勉強。
・読書を去年と引き続き夜寝る前の習慣にする。
・筋トレ週一二回、ランニング30分週二回。
・フットサル月一回、できれば週二回
やりたいこと
・ひげの医療脱毛
・フットサル、筋トレ
・眉サロンにいってみたい
・行きつけの飲み屋に出会いたい。
・服にも興味をもつ
目標
髭脱毛をし、完全に髭をなくす
会社のフットサル大会にでて、勝ちたい。
貯金 A80万
B70万
C50万→最低目標
毎朝のルーティンを続ける、アブローラー30回、ストレッチ。
おわりに
それぞれのテーマでつらつらと書いてみた。
すべてを完全に成し遂げなければいけないわけではない。無理のない範囲で確実に。
よし!!!
2021年が始まった。
今年はどんな年になるのだろう。
きっと予想のつかない事ばかり起こって、僕をいい意味で困らせてくるだろう。そのすべての出来事を受け止めて、
素敵な一年にしていこう。
今年の振り返り-M2の4月から12月-
今年もまもなく終わろうとしている。
今日はM2の4月から12月どんなことがあったか、時系列で少し整理しつつ振り返りたい。
M2の4月-6月
コロナが急速に拡大。緊急事態宣言が全国に発令され、大学に行くことができなくなる。
そのため、家に引きこもることが多くなってしまった期間だ。就活も終わっていないため、ますます焦った自分がいた。
就活に力を注いでいたため、研究はほぼできなかった。なんとか中間報告のポスターを作成に成功。その場しのぎだったけれど。
就活の息抜きで、毎日筋トレとたまに馬見ヶ崎に行って小説を読んだりした。
今思うと、本当に孤独だった。人に会わないこともあったけれど、就活で自分のように専門とは少し離れている企業を目指す人間は学科におらず、相談できる人がいないという点でも孤独だった。
高校の友達とズームで頻繁にやりとりしつつ、なんとか生きることができた。感謝。
緊急事態宣言が解除されるようになってから、次々に面接がスタート。
大学から紹介された(しかもOBが3人ほどいる)ところの専門商社の最終面接までいったものの、落とされる。
その後、環境コンサル(エアコン設置とか国の補助金を使った省エネ事業を推進する企業)に営業で内定をもらう。
ただ、なんとなく納得が自分のなかでいかなかったため、先輩が働いているという空調の企業を受けてみることに(紹介されたわけではない)。その企業の面接はポンポンとすすみ、内定。
環境コンサルを辞退し、この企業に入社することを決意。
7月末にて就活は終了。大学生活のなかで、もっとも時間の感じ方が長かった気がする。
8月-12月
就活がおわったので、本格的に研究に着手。カウントや電子顕微鏡観察を進める。
その合間に高校の友達と旅行の計画を建て、長野のコテージに一泊しBBQをした。なにをはなしたかは忘れたけど、とても楽しかった。
このころから、白石一文の小説にドはまりし、彼の著作を読み漁った。彼の文体から表現される、人生、死、生とは、時間、愛について感銘をうけ、自分も深く考え始める。
なお、今も白石一文の本「神秘下」を読んでいる最中。
研究室では、みんが集まって年内で最初のパーティーをした。とても和気あいあいとしゃべることができたのだけど、自分の記憶がとんだ。意識がないまま色々していたことが判明。犯罪的な事をしていなくてよかったとホッとする。いわゆるブラックアウト。
総括
今年一年はいまだかつてない感染症の脅威にさらされて、生活が制限された一年だった。
その中でも、就活を自分なりに考えて最終的に決めることができたのは、本当によかった。それに尽きるかもしれない。
就活という大変なことだけでなく、自分で旅行の計画をたてたり、飲みを誘ったりと
今年もイベンターとして主体的に行動することができた。たばこをやめ、筋トレで成果をだしたりもした。
あと修了まで3か月。修論を書いて、自分なりにできることをやっていこう。
よし、振り返りもできたし来年の目標とやりたいことを紙に書き出してみよっと。
J研究室での年内で最初で最後のパーティー。
寿司、チキン、サラダ、ローストビーフそしてワイン。
どれも最高だった。
しかも久しぶりに同期のRちゃんとしっかり喋ることができた。なかなか会う機会がなかったから、少し緊張した。
なにをやってるんだ、初心な中学生かよ。
H先輩がもってきた中国の魔のおさけ、まおたい。度数53、少量をくいっと飲むのがしきたりみたいで、それにならって一杯だけ飲んだ。
その後はワインを飲み続けたのだが、後半の記憶がまるでない。
覚えているのは、Rちゃんの指にかわいらしいカットバンが貼られているのと、鎌状赤血球がアフリカの人たちに多い理由と、なぜ血液は皮膚からだと青く見えるのかについて説明したことだけ。
げろは吐かなかったみたい。原因をまおたいに押し付けるのはだめだけで、絶対まおたいだ。
もうまおたいは飲みません。
来年のパーティーは彩鳥がいいなあ。
おもしろきこともなき世をおもしろく。
今日先輩と話していて共感したことがある。
今の時代は便利になりすぎていて、人がそれに追い付けていないということだ。
例えば、
今の時代は昔と比べ、食糧が豊かに医療も発達し長生きできるようになった。さらに生きていく上で他人と容易に連絡がとれるようになったし、自分ですべて食料を調達せずとも貨幣でやりとりするだけで、なんでも手に入れられる世界になった。
人間はその便利さを完璧に使いこなせているだろうか。
答えは否だ。
人は便利になればなるほど、さらなる満足を追い求め続ける。食料が豊かになっていつでもなんでも食べられるようになったことで、太っている人が増えた。生活習慣病である。
狩猟採集の時代に太っている人はいただろうか。いないだろう。当時の人々は未来を考えず、今の生活に満足して生活していたのではないか。
それが現代では、さらなる満足の追求に走るループが蔓延している。衣食住が何不自由なく生活できるくらい整っていたとしても、他人からの承認を集めるべくスマホに縛られ、お金をおいもとめつづけ、情報の海にのみこまれていく。
そして口に出す言葉は、今の世の中つまらない、なにも刺激がない、おもしろくないと。
なにも原始の生活に戻るということではない。今の生活はとても便利だ。ただ、そこに満足をしらずして、追求することに躍起になっていないだろうか、と尋ねたい。
世の中で起こっている大半のことは、私たちにとってなにもおもしろいことはない。
ただそこにあるのは、物事を面白いと感じる人の心である。
今回の記事のタイトルは高杉晋作の名言から引っ張ってきた。
「おもしろきこともなき世を面白く、すみなすものは心なりけり」
コロナ禍で家にいる時間が多くなっているいまだからこそ、
自分の生活スタイル、自分にとって満足とはなにか、おもしろいと感じるときはどんなときか?と自問自答してみるといいのかもしれない。
正解がないからこそ、自分なりの答えを持つことは重要だから。
辟易する。
人間は弱い立場に存在しているときほど、自分の弱さが周りにばれないように下手に取り繕って生きようとする。
心理学でも自分のチームが負けたときは、外的な要因のせいにして自分のチームの弱さを棚上げにするという。
その場面に実際にであうと、本当に辟易する。下手に取り繕って必死に集団の中に居続けようとする人間はみていてとても滑稽だ。その人の心の声が痛いほど伝わってくる。「助けて、助けて。まだここに自分は居たい」
そこで行われる会話は、言葉のキャッチボールなどない。お互いがお互いの言いたいことを言って満足し、決してまじりあうことのない会話。苦笑いが絶えない。
もっと素直になってもいいんじゃないか。仮に素直に会話したことで、この大学生活での人間関係がなくなったとしても別のシーンでの人間関係があると思う。(その人が大学生活だけの人間関係しかないなら別だ)
これを考えていたら、窪美澄さんの「やめるときも、すこやかなるときも」で主人公が言った一言を思い出した。
貝のむき身みたいな自分をさらして向き合ってきた。少し砂がついたくらいで痛い痛いと泣いてしまうような自分。誰にも見せたことのない姿。
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けれど、殻をぴたりと閉ざしてしまえば、そんな人間の生身の部分なんてすぐに隠れてしまう。
みんなそんなむき身の部分があるはずなのに。
もっと素直にお互いが接してもいいんじゃないかと思う。なんか見ていてどこまでも親密になることがない平行線の世界を生きている感じがして、むずむずする。
かといって大学での人間関係をおろそかにすることはやめた方がいいと思うけれど。
事実と解釈のぶつかり合い。
研究室でのもめごとに巻き込まれて早一年。
とうとう明るみになろうとしている。
証拠として提示できるものはないものの、事実を話すことはできる。しかし、そこにそれぞれの解釈がまじると途端に泥仕合となる。
昨日外部の先生に一応の事実を話した。自分が研究室に所属してからの話等。今まで定まるべきでない場所に留まっていたものが、すっきりと定位置に落ち着き始めた感はある。(解決はしていないけれど)
自分の感情をこめず、理屈で言葉にしたつもりだが伝わっただろうか。心配だ。
そのもめごとに関しては、自分はあと少しで卒業するものだと考えているので、対岸の火事として眺めていた。
しかし、最近になって先輩から「長澤も被害者だよ」といわれハッとして、思い返してみると確かになぜか自分が悪者のようになっているのに気づく。
自分も知らず知らずのうちに渦中の出来事に飲み込まれてしまっていたのだ。
淡々と降り続ける白い雪のように、この問題も真っ白にならないだろうか。そう思わない日はない。
ただ、この件をどう対処するのが正解なのか本当にわからない。
今日話は伝えたから、あとはどんなことになるのか状況を見守ろう。
とにかく、いま自分ができることはした。
あとは修論をしっかり書いて、2月10日の発表に備えるのみだ。
ダブルスタンダード。
冬になり頻繁に外にでかけなくなったことで、家で読書する時間が増えた。
本を読みながら思考する時間は格別だ。精神が研ぎ澄まされ、和ぎとなる。
そこで考える。
自分はM2で、ほとんど最高学年といっていい。(ドクターもいるが少人数であるため割愛)
よくバイト繋がりで後輩と飲みに行く。そこでいろいろと過去の話をするのだが、たまにこれはこうした方がいい、あれはやらない方がいいなどと忠言をしたりする。
しかし、他人にはこうしたほうがいい、あれはやっちゃだめだといった忠言をしながら、肝心のその忠言は自分の耳に届かない。
自分の都合のいいように解釈し行動する。つくづくダブルスタンダードな生き物だと思う。
鬼滅の刃の煉獄さんのように、「君と僕とでは価値基準が違う!」とはっきりいうことは実際の人間社会ではできないのではないだろうか。
一つの物差しですべてを測るのはよくないけれど、環境によって変化する価値基準はいかがなものか。
善か悪かの二分法でとらえることはできないものだからこそ、深く考えるべきなのかもしれない。
こんなことを、本を読みながら考えた。
勤務地どこになるのかなああ。
来年から6か月間、新入社員東京に集合し研修を行う。
10月からはそれぞれの勤務地にて働くことになるのだが、その勤務地の通達は来年になる模様。
人事面談で山形と四国、北海道以外でお願いしますと言ったので、東京かそれ以外の勤務地になると思われる。いや、なってほしい。
もう24年間も山形いたので、どこか違う場所で生活したいのだ。
しかし、去年の先輩は東京以外でといったのにも関わらず東京に配属されているので、自分も山形以外といったという事は、フラグを立てているのかもしれない。
勤務地どこになるのかなああああ。