地方理系大学院生の雑記

地方国立大の理系院生です。思ったことを書きます

辟易する。

 人間は弱い立場に存在しているときほど、自分の弱さが周りにばれないように下手に取り繕って生きようとする。

心理学でも自分のチームが負けたときは、外的な要因のせいにして自分のチームの弱さを棚上げにするという。

 

その場面に実際にであうと、本当に辟易する。下手に取り繕って必死に集団の中に居続けようとする人間はみていてとても滑稽だ。その人の心の声が痛いほど伝わってくる。「助けて、助けて。まだここに自分は居たい」

そこで行われる会話は、言葉のキャッチボールなどない。お互いがお互いの言いたいことを言って満足し、決してまじりあうことのない会話。苦笑いが絶えない。

 

もっと素直になってもいいんじゃないか。仮に素直に会話したことで、この大学生活での人間関係がなくなったとしても別のシーンでの人間関係があると思う。(その人が大学生活だけの人間関係しかないなら別だ)

 

これを考えていたら、窪美澄さんの「やめるときも、すこやかなるときも」で主人公が言った一言を思い出した。

 

貝のむき身みたいな自分をさらして向き合ってきた。少し砂がついたくらいで痛い痛いと泣いてしまうような自分。誰にも見せたことのない姿。

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けれど、殻をぴたりと閉ざしてしまえば、そんな人間の生身の部分なんてすぐに隠れてしまう。

みんなそんなむき身の部分があるはずなのに。

 

 

 もっと素直にお互いが接してもいいんじゃないかと思う。なんか見ていてどこまでも親密になることがない平行線の世界を生きている感じがして、むずむずする。

かといって大学での人間関係をおろそかにすることはやめた方がいいと思うけれど。