地方理系大学院生の雑記

地方国立大の理系院生です。思ったことを書きます

コロナ禍に思う。

  コロナが日本で本格的に流行してから、約半年。

 コロナ感染者を少しでも食い止めるため、各県や全国を通じた緊急事態宣言を発令した。

日本国民のみならず世界でも自粛という二文字によって従来の社会生活を送ることがままらなくなっている。さらに脱ハンコ、テレワークによる働き方といった社会構造までも大きく変化した。しかし、そうした感染者をださない取り組みにも関わらず、今もなお日本では感染者が増加しているのが現状である。

 かく言う自分も大学院生として、本来であれば今年山形で行われるはずだった国際学会に参加する予定がなくなり、大学の往来も制限され教育的な活動もできなくなっている。

 

このような現状を列挙すると、未来を見通すことができず不安が蓄積されていく。自粛期間により人と会わないことが多くなると、自分という存在がこの世界からひとり取り残されていくように感じ、そしてまた不安になってくる。まるで不安で覆われた暗い螺旋階段をたいまつを持たずに、早歩きで登っていくようなものである。

 

 

そんな中、かすかな希望を追い求め、「大河の一滴」著五木寛之さんの本を読んだ。

そこに書かれているもので興味深い章を紹介する。

屈原(くつげん)の怒りと漁師の歌声 

 

 むかしきいた話である。

 

古代の中国に屈原(くつげん)という人がいた。たぶん紀元前何世紀かの戦国時代の人だろう。
彼は乱世のなかで国と民を憂(うれ)い、さまざまに力を尽くしたが、
それをこころよく思わぬ連中に讒訴(ざんそ)されて国を追放され、
辺地を流浪(るろう)する身となった。屈原のすぐれた手腕と、一徹な正義感、
そしてあまりにも清廉潔白(せいれんけっぱく)に身を持(じ)そうとする生きたかが、
周囲の反撥(はんぱつ)を買ったものと思われる。

 

長い流浪の歳月に疲れ、裏切られた志(こころざし)に絶望した屈原は、
よろめきながら滄浪(そうろう)という大きな川のほとりにたどりつく。
彼が天を仰いで濁世(じょくせ)をいきどおる言葉を天に吐きながら独り嘆いていると、
ひとりの漁師が舟を寄せてきて、身分の高いかたのようだが、
どうなさいました、とたずねる。

 

 そこで屈原は答えた。
 いま世間は、あげて皆すべて濁りきっている。濁世のきわみだ。
そのなかでこれまで 自分はひとり清らかに正しく生きてきた。
そしてまた人びとはいまだに、みな酒に酔い痴(し)れているような有様だが、
そのなかで自分はひとり醒(さ)めているのだ。だからこそ、
私はこのような目にあって官を追われ、無念の日々を送っているのだ、と。

 

 それをきいた漁師は、うなずきながらふたたび屈原にたずねる。
 たしかにそうかもしれません。しかしあなたは、そのような濁世にひとり高くおのれを
守って生きる以外の道は、まったくお考えにならなかったのですか。

 

 屈原は断固(だんこ)として答えた。潔白なこの身に世俗の汚れたちりを受けるくらいなら、
この水の流れに身を投じて魚の餌(えさ)になるほうがましだ。それが私の生きかたなのだ、と。

 

 すると漁師はかすかに微笑(ほほえ)み、小舟の船ばたを叩(たた)きつつ歌いながら
水の上を去っていった。その漁師の歌は、次のように語り伝えらている。



滄浪之水清兮  (滄浪(そうろう)の水清(みずす)まば)
可以濯吾纓   (以(もっ)て吾(わ)が纓(えい)を濯(あら)う可(べ)し)
滄浪之水濁兮  (滄浪(そうろう)の水濁(みずにご)らば)
可以濯吾足   (以(もっ)て吾(わ)が足(あし)を濯(あら)う可(べ)し)
    
     滄浪(そうろう)の水が清らかに澄んだときは
     自分の冠(かんむり)のひもを洗えばよい
     もし滄浪の水が濁ったときは
     自分の足を洗えばよい
 
この教訓が伝えたいこと、それは現状を認め、臨機応変に今の自分ができることをなすということであると考える。
 
 
 コロナ禍で不自由な暮らしや生活を強いられている中で、私たちは何ができるだろうか。
例えば無人島に連れていかれ、火をつけようとしてライターがないときあなたはどう行動するだろうか、
 日が暮れるまで、ライターがないことを憂うのか
 現実を客観的に認め、火をあるもので起こそうとするのか。
 
現実と個人の思考は似て非なるものである。
思考は現実を認識するために用いた単なる言葉の断片であり、主観でしかほかならない。
つまり、この世界は個人の主観で形造られている。
 
偉そうなことを言っていると言われるかもしれない。もっと苦しい思いをしている人もいる。
 
ただこのコロナ禍の現状はどうにもコントロールすることはできない。
だからこそ、現実に対する個人の認識の枠組みを変えるときではないか。
屈原の怒りと漁師の歌声」の章を読んで、こんなことを考え、思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、このコロナ禍でどう考え、行動するのがベストなんだろう。
自分に問いかける。